アニメーターの井上俊之がゲストを招き、作画に関するトークを繰り広げるイベント「井上俊之の作画殿堂」の第3回が去る1月11日に東京・立川シネマシティで開催。ゲストとしてアニメーターの中村豊、モデレーターとしてアニメーション研究者の高瀬康司が登壇した。
中村豊さんの作画パートで新たな扉が開いた
「ストレンヂア 無皇刃譚」「カウボーイビバップ」「血界戦線」「僕のヒーローアカデミア」などを手がけ、現代アクション作画の礎を築いてきた中村。同日、立川シネマシティで上映された「ストレンヂア 無皇刃譚」を鑑賞した井上は「公開当時も思ったのですが、僕は常々、映画は“物語”に支配され過ぎだと思っている人間なので、本筋そっちのけで名無しと羅浪が力比べを始めるのがとても痛快」と感想を述べる。アクションシーンの作画に関しては「中村豊さんのパートで新たな扉が開いたと感じた」と称賛した。
また「当時のスタッフに申し訳ない」と前置きしながらも、「日常シーンのパートをしっかり描けば描くほど中村パート(アクションパート)が活きてくると思う。日常部分がしっかり描かれてこそ、人の死や傷の痛みが活きてくると思うので、そういったところを感じさせるために日常部分の表現をもっともっと充実させたほうがよかったと、正直なところ思いました」と素直な思いを吐露。そして「それは一番難しいことでもあるんです。アクションアニメーターが活躍できるように、キャラクターが生きている世界のリアリティを感じてもらえるような仕事をすることが、僕の役目だと思っています」と言葉にした。
井上さんのような存在に到達できていないからモチベーションは上がる一方
井上は「飽きるどころか、40歳、50歳と中村さんはずっと画力も表現力も進歩し続けているように見える。さっきエゴサ(エゴサーチ)をするって仰ってましたよね?」と問いかけ、中村は「気になってしまうんですよね。自己評価があまり高くないんです」と回答。井上は「それが進歩し続けるモチベーションになっているのかなあ」と考える。中村は「井上さんのような存在がいるので、そこに到達できてないからモチベーションは上がる一方なんです。なので、いろんな意味で伸びしろがあるんじゃないかなという気はずっとしています」と発言すると、「すごい、それも含めて中村豊の才能なのかなあ」と感心した。
「僕が業界に入ってから、この人はスターだなと感じたのは中村豊さん。日本の業界もそうだし、世界のアニメーションも牽引し続けている」と中村を称える井上。それに対し、中村は「分析するとですね、僕は井上さんみたいな仕事はできないので、いかに表現で簡単にインパクトを出すかを探求したんです。なので(そのやり方が業界に)広がったんではないかと思います」と答える。その発言を受けながらも、井上は「最近は“中村豊イズム”と言えるような、構成のうまさや型にはまらない発想を、日本はおろか海外にも伝播しているように見える。画面の作り方、取り組み方を含めて、この10年くらい影響力を感じる」と改めて中村の影響力を語った。
そんな中村は業界の作品について「あえて観ないようにしている作品もある」と言い、「(井上が参加している劇場アニメ)『ルックバック』も観ていないです。あてられちゃうので。本質的な動きとかを考えると、井上さんや押山(清高)くんたちがやっているもののほうが、僕は打ち抜かれる」と話す。また自身について「専門学校時代から考えても、僕はものすごくスキルが低かった。最初からボンズのような会社に入っていたら、まあ受からないし、やっていけなかったと思うんです」と述懐。「最初はアド・コスモという会社に務めていて、そこにもうまい方はいらっしゃるんですけど、厳しく教えられたわけではなくライトな感じから入っているので、失敗してもそこまで責められない部分があったんです。そういうところを渡ってきたので、徐々に褒められて伸びるという感じでした。そういう環境でなければ、僕は潰れてた可能性もあったかなと思います」と振り返った。
監督業よりも、相乗効果でいいものが作られていくほうが好み
トークの中で、中村は「商業アニメーションって集団作業。集団作業のメリットを使わない手はないので、僕の頭の中だけでは考えられないこと、自身のないところを演出さんに伺って、OKが出たら自身を持って仕事をできる」とコメント。井上に「自分1人でアニメをやってみたいという願望はないんですか?」と問われると、「僕に監督とかをするっていう意識はまったくない。原画マンって僕の中では“アレンジャー”という部分が大きいので、来たものに対して『僕はこうやりますよ』っていうやり取りがあって、発展していくものだと思っている。人の意見を聞いて、相乗効果でいいものが作られていくほうが好みなんです」と意見を述べた。
また中村は「僕は頭の許容量が少ない。なのであまり情報を入れないほうがよくて。大好きな湯浅政明監督の『ねこぢる草』も、購入してから半年観られなかったんです」と話すと、井上は「『ねこぢる草』は原画に田辺修さんが入っていて、田辺さんはある種トラウマだったらしいんです」と明かす。「痛いシーンを描くと(自身も)痛くなっちゃうそうなんです」と言い、中村は「少しだけわかる気がします」と共感しながら「実写でそういうシーンを観るのはダメなんですけど、作画するのは平気なんですよね」と語る。一方の井上は「(グロテスクなシーンの)実写を観るのも描くのも大丈夫」だそうだ。
中村豊が思う「井上さんについて」
イベントの終盤では、中村が持ち込んでいた「井上さんについて」と書かれているカンペの話題に。これは中村がアニメーターの鈴木典光と「僕が思う井上さん像を確定させてほしいので、井上さんについて語り合いましょう」と話した際に書き記していたメモだという。メモの中に書かれていた「めちゃくちゃうまいのに井上さんの顔が浮かばない」という分析について、井上は「自分の分析にも近い。そういう個性を全面に出すような仕事はできていない。クセらしいクセがないということもあるし、そういうのを出すのがいやらしいと思う部分もあるので、半分くらい当たってるのかな」と想像した。
中村と鈴木のメモにある「どこを目指されているのか知りたい」という言葉に対しては、井上は「僕は普通になりたい。僕が“普通”と言われる状態になりたい。そうあるべきだと思っています」と話す。「アニメーションは絵空事なので、『絵空事じゃないよ』と思わせるのに、キャラクターの立ったり座ったりという表現が大事で、観ている人の視点も厳しい。ちょっと変だとすぐバレてしまうので、いかにそう思わせないか。“この世界の住人たちは絵で描いたものではない”と思うくらいのレベルにアニメーションの水準を上げられれば素晴らしいと思うし、僕はそういうことに貢献したいと思っている。そうなれば中村さんの仕事はより際立つ」と語った。そんな井上に対して中村は「中村豊のある程度の量産は簡単だが、井上俊之の量産は不可能。業界はもっと考えたほうがいい」と淡々とメモを読み上げた。
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(コミックナタリー)